施工事例建築・リフォーム足尾銅山 産業遺構復元工事 基礎編

施工事例

 足尾銅山 産業遺構復元工事 基礎編

足尾銅山といえば、旧古河財閥の礎となり、また日本の公害問題の先駆けとして教科書にも載っています。

世界遺産登録運動などもあるんですが、閉山から50年以上経ち、残されたものを利用して、という動きは少ないんです。

動力が貴重らしくその建家を復元することが、当の古河グループで決まったようなのです。

当社は、最初の行程「基礎部分補修」 そして最後行程の「仕上げの漆喰塗り」 という主に左官作業で呼ばれました。

 

下請け作業ですが、古式左官工法など詳しい職人を探すのが大変な時代なので、私に声がかかったようです。

前半は基礎工事。

閉山までに改装された部分や壊れた部分を、撤去したり直したり・・・・・雑用っぽい仕事ですが、要はオリジナルの基礎に近づけて大工さん作る土台がしっかりセットできるようにする、という作業です。

現在のような「布」が立ち上がった基礎ではなく、豆腐のように四角い基礎にまず木の土台を回して建家がたち、最後に土台の内側に土間コンが打たれて・・・という構造でした。

だから土台から作り直すにあたり、土間コンのはみ出した部分を削ったり、天端の不陸を調整する、という作業でした。

その際天端の高さを監督に測っておいてね・・・なんて頼んでおいたんです。

それが信じられないことが発覚!!!!!

元々道路側のみえる部分は御影石(当地で採れる)の間知石積みで、その他はコンクリートでした。

一部に割れが見えていて、ちょっと不安だったんですが。

 

何と基礎の部分のこっちとあっちで20cmも高さが違う!!!!!!これはとんでもない状況だ。

元々「基礎天端の不陸調整」が主な任務でした。「不陸」ってどのくらい?という問いに監督は、「50-0mm程度だと思う」と言っていて。これはこれで難しいのです。5cm盛るのと、2cm盛るの、数ミリ盛るの 全部材料が違うんです。それなんでその不陸状況で施工法も変わってくるんですが・・・20cmも違えば、工法どころか・・・ウチの仕事じゃないです、帰ります。基礎屋に行ってください、というレベル。

 

で、実際東京の大元請けに設計が戻り、最低限のリペア案が下知されました。基礎の打ち直しでした。

基礎屋も仲間にいるので、そのまま当社の作業として基礎打ち完了です。

 

20cmの天端の段差は、おそらく地震などによる断層のずれだと思われます。足尾は群発地震が多いですからね。それにしても・・・○億円掛ける復元工事工事の基礎が使えなかった、それを測量せず設計が進んでいた、というのはある意味驚きだよね。だって庶民の住宅だって、地積測量してから図面ができるんだぜ。