ここの施工例のページでも紹介してますが、その時の基礎の改修の後、木工事が終わって、再び左官工事として現場に呼ばれたのだ。
しかし最初から思いがすれ違っていた。
建家はおよそ100年前。当時の工法に従った漆喰塗、と一言でいうが。仕上げ材の漆喰自体は100年前と大きく違わないのだが・・・下地は全く違う。現在の建屋では、防火のため石膏下地が前提である。が当時にはそんなものはない。また強度を高めたり、クラック防止のため、ラス網という細かな金網をいれた石膏で下地を作るのだ。が、当時ラス網もない。
つまり原状とは違う工法が要求されている。
加えてそんな古式の左官工法をやったことある左官屋は・・・・かろうじて現存しているけど・・・・ほとんどが半分引退しているような職人だけなのだ・・・・。
でも何とか、工法やそうした古式壁を補修するような材料を捜して、工法を考えて、職人にあてをつけて、見積もりを提出すると・・・・
驚いたことに・・・
設計価格が・・・・・・何と
現在の一般家庭の漆喰塗の単価を同じだったのだ!!!!!!!!
!マークいくつつけてもつけ足りない。
直接の監督は、馴染みだが、元請けと設計の大元は東京にいるけど・・・・100年前の工法を再現する、という力量のある建築士ではなく、つまりわかっていない・・・・・・大先生監修の工事だった。
そんな設計価格じゃできません。できまるわけない、という。どうしても納めたいなら現代の建材使っていいですか、と聞くと「良いと下知が来たと」監督は言う。
やっぱりわかっていない建築士なのだ、と逆に安心した。
とは言っても現在では高価な下地材料を既に使う工法を提出済で・・・・本当につまらないことをしたけれど・・・これも経験だよな。
で、裏話はここまで、なんとか完成しました。
足尾銅山産業文化遺産復元内装工事